Simpel en Lekker

オランダでの日々の生活、子育て、仕事

ご近所づきあい

昨日は2軒隣の家に住む家族に二人目の赤ちゃんが生まれたので、赤ちゃんに会いに遊びに行きました。このことも1つのブログを書きたいくらい色々面白かったのですが、それはまた別の機会に。

そして今日は、うちの家の裏に住むご夫婦とお茶をしました。
うちの家の雨水の排水溝に葉っぱや泥が溜まっているようで、それを裏に住む家のご主人さんに手伝ってもらって掃除をしたのがきっかけです。そして、夜にお礼に妻が焼いたタルトを持って行ったら、案の定お茶をしていかないかと誘われ、1時間半ほど色々な話をしてきました。来週以降一緒にBBQをして、9月にはオーストラリアに住む奥さんの妹が遊びに来る時に一緒にご飯も食べることになりました。この内容もとても面白かったのですが、それもまた別の機会に。

今回裏に住むご夫婦とお茶をして、電話番号も交換して、ついにうちの家の両隣だけでなく、裏も、はす向かいもそのまた隣まで含めて、360度と全部の家にお邪魔までして話す関係にまでなりました。

まさか、オランダに移住して3年も立たないうちにこんなに友達もできると思っていませんでしたし、近所の人とこんなに仲良くなると思っていませんでした。

日本にいた時でさえ、こんなにご近所づきあいがなかったので、僕にとって人生でこれほどまでに地域のコミュニティーに属するという経験は初めてです。

今まで経験したことがなかったのですが、こういう地域のコミュニティーに属するということが、これほどまでに幸せなことだと知りませんでした。いつも5分も外にいれば、絶対に誰か知り合いに出会い、世間話になり、気軽に家にお茶にも行く。ああ、こういう人間関係があるっていうのは、これほど暖かく幸せなんだな、としみじみ喜びを噛み締めています。(こんなにオランダ語が下手くそな僕たちに、よくもみんなこんなに優しくオープンに接してくれるなといつも思います。)

今日、ふと母が祖父との思い出について書いた記事を思い出し読み返してみました。
http://hac.cside.com/manner/episode/ishihara/omoide6.html

昔はこの文章を読んで何も思わなかったのですが、この歳になって、こういう経験をして、心の温もりのある関係の大事さと、人に真摯に付き合うことの重要さを噛み締めています。

以下はこのおじいちゃんの書いた本「21世紀の階段」の下原稿の結びの言葉です。


われわれは、現代文明をいたずらに謳歌しているだけではならない。
過去、そうであったように、これから始まらんとする21世紀において、われわれが解決しなければならない問題は、あまりに多い。みんなで手をたずさえ、良き21世紀を築きあげていこうではないか。
アイザック・ニュートンの晩年のことばにある。『わたくしの全生涯は、浜辺で、貝殻の一つをひろったようなものである。なお、無数の貝殻が残っているのに、わたくしは、それらをまだひろってはいない。』
その後、今日までに、人類はもう一つか二つだけ貝殻をひろったかもしれぬ。まだ、ずい分、沢山残っていることは明白である。
「人類は一つなのだ」みんな、仲良くしてゆかなければならない。けれども、もし、国際的な「力」を以て、上から人類統一組織を押し付けられるならば、われわれの子孫は、骨抜きになってあたえられた年中行事の時だけ、これらを、賑やかに、盛大に行って、それを唯一の勢力のはけ口とするような国民になってしまう。
そのようなことになって欲しくない。これからの百年間、第21世紀がそのような方向にむかうことのないように、みんなで、努力、注意しようではない
か。


今この言葉が本当に本当に胸にしみます。昨今の世界情勢やアメリカのシャーロットビルの事件のことも含めて、地球市民として、地域レベルでも地球レベルでも人類が一つで仲良くしていかないといけないですね。

パパ