Simpel en Lekker

オランダでの日々の生活、子育て、仕事

Basic Income

※注意①:むちゃくちゃ長い文章ですが、最近考えていることをシェア

※注意②:読んでいる人の中で言葉がわからない人がいるかもと思い、説明もつけましたが、全て私の知識で、ちゃんと調べていないので、説明は多少間違いがあるかもしれないです。

昨日は、仕事でUtrechtにいってきました。

Utrechtといえば、今年の1月からベーシックインカムの導入を実験的に開始したことが話題になっています。

ベーシックインカムを知らない人のために簡単にベーシックインカムの概要と世界の状況を説明すると、

ベーシックインカム(basic income)とは最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想 です。

ユトレヒト州では、対象者の300人はいくつかのグループに分けて比較され、一つのグループには基本所得の約900ユーロ(約12万2500円。所帯がある人には約1200ユーロ=約18万円)を無条件で支給し、その他のグループは、さまざまな規則や条件のもとに支給されるそうです。

この実験の結果をみて、本格的に今後導入するかを検討するようです。

ちなみに、オランダのユトレヒト州にだけでなく、
フィンランドでは、2015年総選挙でベーシックインカムを公約とする中央党が第一党になったため、中央党、フィン人党、国民連合党による保守・中道右派連立政権が誕生し、ベーシックインカム導入実験の実施に向けた準備が進んでいます。実験内容はまだ確定しませんが、都市、農村、さまざまな経済状況を反映した複数の候補地を選び、大規模な実験を行う可能性が高く、2017年に実施し、期間は1~3年程度、給付額は月額800ユーロ(日本円で約10万6400円)の予定とのことです。

スイスでも、ベーシックインカム導入を問う国民投票が2016年6月に行われる予定です。
スイスは、成人国民に月額2500スイスフラン(約30万円)、未成年者には月額625スイスフラン(約7万5000円)のベーシックインカムを給付するかどうかを国民投票によって決めます。制度に必要な費用の大半が税金によってまかなわれる予定で、制度導入に伴って既存の社会保障制度の一部を打ち切り、ベーシックインカムに一本化するそうです。国民投票が可決されると、スイスでは就労の有無にかかわらず月額30万円が支給されることになります。

個人的な捕捉をすると、日本円に換算すると、スイスは物価が高く、スイスフラン高もあるので、日本人の感覚になおすと、月15万くらいのイメージだと言えるのでは似でしょうか?(スイスの最低賃金が3500スイスフランです。)

それでもこの3つの国どこでも、教育費はほぼ無料ですし、質素な生活をすればこれだけで最低限の生活はできる収入が保証されるのではないかと思います。

ポイントは、これにより、
1.それにより人々の勤労意欲はどうなるのか?(働かなくなってしまうのか?それとも安定が担保されたら人は本質的でクリエイティブな仕事にフォーカスでき、税収も上がるのか?)

2.財源をどう確保するのか?(これも上記の話に関わります)

3.他の社会保障にどういう影響をあたえるのか?(社会保障の一本化、治安が良くなるなど様々なことを含めて。これも1.2とか変わってきます。)

のようなことがどうなるかだと個人的に考えているので、ユトレヒトでどのような結果がでるのか、そしてスイスの国民投票はどうなるのかはとても興味があります。

ちなみに、シリコンバーレーでもベーシックインカムの導入を検討しているようですし、ベンチャーキャピタルのYコンビネーターもベーシックインカムの研究に出資すると名言しています。


ベーシックインカムは導入せざるを得ない

さて、とても長くなりましたが、今までがベーシックインカムの基本的な説明でした。

私個人としては、もうベーシックインカムに社会はいかざる得ないのではないかと思っています。
そしてこれはただの予想ですが、早い国ではこの10年以内に本格的な導入を始めるのではないでしょうか?

自分自信が商売をしていて、「人間がやる仕事が急減している」と実感しています。

・コンピューター化
・機械化
・人工知能化
・アウトソース化(人間がやる仕事とは少し論点がずれますが)

により、昔だったらこれ社員雇ってたのに、全く雇う必要が無いし、コストも圧倒的に減ったなと思います。

私は、貿易ビジネスもやっているのですが、
例えば、フランスから日本へ包丁を仕入れ、運送し、通関をし、倉庫までまた輸送し、インターネットを通じて注文を受け、それを倉庫で梱包し発送する、おまけにコールセンターでアナログな対応をする。
という上記の一連の流れですが、一人の社員を雇うこともなく、全て自動的に行なっています。

社員を雇うことも何度も検討したのですが、圧倒的にコンピューターでシステム化したり、アウトソースしたほうが安く、融通もよいです。

しかも、最初にウェブサイトを含めたデザインをする人間にしかできなそうな作業も、発展途上国との価格競争で大幅にデザイナーへの費用が落ちており、なんと、今はコンピューター・人工知能が自動でウェブサイトやロゴを作り格安で販売するサイトまででてきています。(そして、そのへんのデザイナーに頼むよりよっぽどクオリティーがよい。)

結局、残された仕事というのは、経営、戦略を練る、全体をコーディネートするという仕事だけで、あとは格安でシステム化またはアウトソース化できる作業・労働になっています。

そうすると、必然的に、作業をやっている人、今まで中間層だった人のホワイトカラーの仕事は大幅に減り、その人達が、上か下にいくものの、収入が高い人の比率はより今より更に少なくなるがより多く稼ぐようになり、定収入の人はより労働の需給バランスが崩れ、労働単価・環境が悪くなっていく(まさに産業革命の時の労働者におこったこと)。
そして、なにより恐ろしいのは、このことは予想ではなく、すでにもう実際の社会でそうなってきているということです。

これに、ピケティのいうように、資本家がよりお金をもつ構造が重なり、世の中の二極化が進んでいくことは必須です。

これを越えるには、
・仕事の創造(労働、作業ではなく仕事!)
・資本の再分配
をせざるを得ないのは明確でしょう。

オランダという国

オランダが、すごいなと思うのは、
このような社会の変化をいつも早く察知し(自体が完全に最悪な状況になる前に)、国民が話し合って対策を考え、実際に行動に移すところだと思います。

それが、実際に
・どの国よりも早く資本主義を導入し、
・どの国よりも早くワークシェアリングを実施し
・どの国よりも早くベーシックインカムを実験導入し
・どの国よりも早く同性愛の結婚を合法化し
・どの国よりも早く安楽死を合法化し
など枚挙にいとまがありません。

時代、時代によって、取るべき行動は違うと思います。

オランダは資本主義を創りだした国ですが(東インド会社、世界初の証券取引所など)、今は決してアメリカのような金融資本主義の国家ではなく、むしろ高福祉型資本主義か、ベーシックインカムのような社会主義の側面さえあると思います。

また、同性愛婚や安楽死の合法化など、とてもリベラルな側面も持っていますが、実態はコミュニタリアニズムではないかとおもっています。


リバタリアンからコスモポリタンへ

実は、私自身も、数年前まではリバタリアン(リバタリアニズムを主張する者で、個人の自由を選好を最大限尊重する極端な個人主義。自由であればあるほどよいと考える。)で最小国家主義でした。
なぜこのような思想だったかというと、学生時代や起業した直後は、政府への不信感が強かったことに加え、マーケットへの絶大なる信頼があったからだと思います。
貧乏な人は努力がたりなく、自分で選んで貧乏をやっているだけだと考えていましたし、市場原理で勝手に社会は最適化されていくと信じていました。
また、自分の成功体験も重なり、これがより強固になったのだと思います。

しかし、ただの学問ではなく、実際にビジネスをしていくなかで、倫理観を持たないビジネスに正義を感じなくなり(まさに渋沢栄一の論語と算盤)、自分自身はリベラリスト(リベラリズムを主張する者。人が生まれながらにもっている自然権を権力から守るべき。他人に危害を加えないかぎり自由が保証されるべき。価値の中立を重視)にシフトしていきました。

そんな私でしたが、このような状況を考えると、今まで肌が合わなかったコミュニタリア二スト(コミュニタリアニズムを主張する者。誰もが共同体という他者との関係性にしばられていて、その共同体に共通する善があるはずと考える。)のことも理解できるようなってきました。

ただ、今起こっている問題は、共同体の範囲では解決できない問題も多く、共同体単位の正義や善同士が、問題を生み出しているので、やはりコミュニタリアニズムは限界があるのではないかとおもっています。

なので、今の私のスタンスは、コスモポリタン・リベラリストです。
コスモポリタニズムというのは、世界市民主義とも訳され、国家の枠を超えて世界全体を人類が住んでいる共通の場として捉えることにより、個人単位で正義や幸福を考えることができるという主義。つまり、世界規模で考えると、もはや一国の正義やある共同体全体にとっての幸福など問題にならないという、平和の樹立のための思想です。

このような、心の変化が起こってくるのは、常に何かがあり、自我の範囲が私から家族になり、家族から共同体になり、共同体から人類という規模で物事を感じられるようになる時に起こりえるのではないかと、私は考えています。

だから、自我をすてるのではなく、とことん大きな自我をもたせることが世界の平和につながるのではないかと考えています。

ちなみに、私の中でマーケットへの信頼がなくなったのは、全員の経営者・労働者が地球単位で物事を考えているわけではなく、会社単位、共同体規模でしか考えていないため、市場原理が適切な方向に機能しないのではないかと思っています。

また、物事を低い抽象度で捉えるから、このような問題が解決できないんだろうなと思います。


アプリオリなものは存在しない(だから多様性が求められる)

世界単位での平和を考える時に、今の社会や人を見ていて気になることが、上記の自我・抽象度の問題とともに、多くの人は絶対的な答え、普遍的な答えがあると思い、それを欲しがっているなと思います。

哲学でいうと、学問や研究は進化しているのに、人間の意識は18、19世紀の近代哲学のカントやヘーゲルでまだ止まっているのではないかと思います。

カントが必然的で普遍的なもの・アプリオリを主張し、ヘーゲルがそれを万能の理性にまで昇華させて以来、欧米人が近代哲学に一番誇りをもっているように、意識が止まっているように思います。

近代哲学の前提条件であるデカルトの唱えた「私の意識」というものは、20世紀にフロイトが無意識の存在を証明したことにより絶対性が大きく揺らぎました。
そして、ゲーデルの不完全性定理では、完全なもの、絶対的なもの、普遍的なものはないと証明されました。(その後も数学者のチャイティンはリスプというプログラムをつかって、物理学でもハイゼンベルグが、不完全性定理は証明しています。)
もう、現代ではアプリオリなものは存在しないと言って良いのではないでしょうか?
(ちなみに熱心なクリスチャンだったゲーテルは、自分の出してしまった証明が神がいないことも証明してしまい、そのあと自己矛盾にくるしみました。)

しかし、未だに多くの人々が唯一絶対で全知全能の神がいると信じているように、様々なものに、普遍的で絶対的で完全な答えを探し求めているように感じます。

私は、ビジネスで健康食品なども扱っていますが、人々はこれさえ摂取すれば大丈夫という、ひとつの絶対的な答えを求め、それを巧みに使ったマーケティングに飛びつき振り回されます。(スーパーフードや玄米が完全食品だというと信じます。)

オランダでの移住の相談や、教育の相談をよく受けますが、その時「一番よい教育は何ですか?」「一番よい学校はなんですか?」とよく聞かれます。まるで普遍的な評価軸と答えがあり、そしてそこに序列がある前提でみな質問してきます。

そんなもの、その上にある思想や教育の目的によっても違うと思いますし、そのための、手段もどれが最善の絶対的な答えはありませんし、その選択が未来でどうなるかは誰にもわからないはずなのに、絶対的な評価軸があり、その答えがあると前提で、それを求めてきます。

ちなみに、私は教育の信じる評価軸がピサテストのスコアであれば日本の教育はそれなりに、良い線をいっているとおもいます。

だから、今一番求められるのは、答えのわからない中で多様性こそが重要なのではないかと思っています。

実際に、今回多く出した哲学の世界でも、近代哲学までは、私の意識を中心とした、絶対的に正しい唯一の答えに向かっていましたが、現代思想では必ずしもそのような答えを求めようとしません。
反対にそうした傾向を危険視し、バラバラなままに、差異をそのままにしておこうとします。いわば心理はいくつも存在しうると考えているからです。

話はそれますが、オランダ人が常識にとらわれずに、現実を見て新しいことをどんどんとやっていけるのは、半数が無宗教者ということもあるような気がしています。


私達の未来・子どもたちの未来と教育

このような、変化の大きな時代ですし、ベーシックインカムなどが本格的に導入されれば、根本的な働き方もかわり、産業も激変するかもしれません。

また、このマネー資本主義の限界を迎え、社会構造、システムも大きく近々かわるかもしれません。

地球規模の環境問題で、そんなことを言ってられなくらい必要性も迫っていると考えています。

このような環境の中で、私自身は、アプリオリなものはないと考え、コスモポリタン・リベラリストとして生きています。

そして、子どもたちに、このような考えは押し付けませんが、先の見えない社会で、自ら人生を切り開いていける子供になってほしいと考え、普段から接し、オランダに住み、イエナプラン教育の学校に通うという選択をしました。


かなり長くなりましたが、一度私の考えをまとめる良いきっかけになりました。

パパ